行政書士事務所に不動産業と内装工事業を組み合わせたらいろいろできるようになりました。西武多摩湖線一橋学園駅近。

林洋平ブログ(こだたま行政書士事務所&株式会社リブリッシュ)

日常

使えない営業から始まった僕が管理職となった話。

どうもどうも。

リブリッシュの方は細かい仕事も含みますが、地域事業者からのご用命をちらほらいただいており、また自社でできないことでも地域事業者の知り合いにできる人がいてそこにお願いする、という感じで地域密着している10月です。

 

夏が終わった頃になると思い出すのは、今ではかれこれ17年前の夏に、僕は初めてまともな職についたってことです。

それまではフリーターで、深夜の工場やったりフルコミの会員権商法とかいう怪しい仕事もしてました。22~25歳くらいのときですね。

初めて正社員として勤めたのは26歳、不動産の賃貸営業です。それ自体がまともかどうかは諸説あるでしょう。

 

一都三県ではそこそこ店舗数があり、FCではなくすべて本部直営のまあまあな会社でした。

最初は超ダメ営業

でもまたこれが、最初はまともなカウンター営業なんてやったこともなく、ダメ営業にありがちな「物件の押し売り」みたいになっていたのを覚えています。直前の会員権商法は押し売りでしたから。

 

自分が良いと思う物件だからお客さんにとっても良いんだ!

 

その極めて稚拙な思い込みのせいもあり、入社したてのころは全店で最下位…かどうかは忘れましたが良くて下から2~3番目という悲惨な成績でした。それが2~3ヶ月は続くのですから店長やエリアマネージャーの当たりも日に日に強くなっていきました。

 

あと、ダメ営業マンだった理由、というか言い訳のひとつに、真面目過ぎたってことがあるんでしょうかね。
これ以上押したらお客さんに悪いかな?と思っちゃうんですね。

真面目過ぎるっていうか、結局何一つ自信がなかったということでしょう。

自分基準での善し悪しでお客さんに物件を提案するくせに、ヒットせず一晩考えますと言われるとそれ以上何も言えない。

 

それでは一生売れるわけがありません。

 

 

でも賃貸仲介の色というものに気づくタイミングはあって、それを学んで身にまとっていくうちに、成約がどんどん取れるようになったんですね。

 

賃貸営業に目覚めた期

ベースにある部分はすごく単純だったんです。
自分にとって最高の物件でも、お客さんにとってはクソ物件であれば、それは間違いなくクソ物件で、良い物件というものはお客さんが決めるってことです。つまり、お客さんに聞けってことです。意外と簡単そうでできない人いるんですよ、これ。「俺が紹介する物件の良さがわからなければもう客じゃねえや!」みたいな。

 

「隠れたニーズ」という、攻略本を見ないと気づかない要素も度々あります。
これを引き出すには、営業マンがしゃべることは厳禁でお客さんの話を聞くことからすべてが始まるということなんです。

 

お客さんの希望がスタートで、ここからやっと営業マンの力の見せ所ステージに上がれるのです。

「あの物件にはこの物件を当て馬に使って」など想像しながら、成約させたい物件で「これに決めます」と言わせるまでのストーリーを作って演出する資格を得るのです。

もう少し成長すると、元付業者やオーナーに交渉して礼金乗せてもらってあとは云々するなどして売上倍増計画を秘密裏に実行できるようにもなります。

最終的には、新規のお客さんが来て10~20分ヒアリングすれば「この人は最後はあの物件でオチる」という壮大な神のお告げが聞こえてきます。
そして、その通りになるのです。

おお、神よ。

 

そうやって半年くらいたつと、賃貸業界における繁忙期ということもあり、歩合をコントロールして給与の手取り額を上下させることもできるようになりました。

こりゃ楽勝だな。

そうやって、日々の業務に油断も生まれてきてしまいました。

 

そこであの事件が起きたのです。

 

空きだと聞いてたのにいるじゃん事件

元付け業者のマイソク図面に「空き」として出されていた部屋について、事前の空き確認もして、鍵借りに行って、現場で必死にその号室に鍵刺してガチャガチャして開けようとしたら、そこには入居者がいました。

なんと、図面の空き情報が間違っていたんです。
空き確認のときも、元付も慣れで「まだ大丈夫です!(空いてます)」と言っちゃんたんですね。

 

まあ、そういう人為的なミスはたまには起こるのかもしれませんが、その号室の入居者が、また実にあれな人だったんです。

 

もちろん、人が住んでいる部屋に回りもしない鍵を突っ込んで怖い思いをさせてしまったので悪いのはこっちですが、えらい責められようだったんです。「どうやってこの精神的苦痛を償ってくれるんですか!警察に訴えます!!」という感じを100回くらい。
向こうは非がないいわば被害者ではありますからね、僕がそれくらい責められるのは仕方ないのかもしれません。

 

そこで初めて吉祥寺の道端で土下座しましたよ。

 

その後、その件は上司を通じて役員にまで話がいき、その役員と同行して武蔵野警察署の生活安全課に事前に事情を説明に行きました。

生活安全課には行政書士になって風俗営業許可などで日々お世話になっていますが、まさかこんな昔にお世話になっていたなんて。

どうやら被害者が警察署に訴え出そうなときは、話が盛られて警察から必要以上の嫌疑がかけられないように、事前に申し出ておくことが鉄則らしいのです。

 

結局、被害者の方は実際警察署に行くことはなかったようで、警察の人からも「改めて謝罪に行くなどすればまたぶり返すことがあるので、静観しておくのが良いでしょう。」とアドバイスをいただいて、その件はそのままフェードアウトしました。

 

そして退職へ…

ところで、この件について元付け業者(=管理会社)の人はそんなに怒らなかった(なぜならそこの図面上の号室が間違ってたんですからね!怒)んですが、うちの店長が激怒しました。

そりゃあ、自分の店のスタッフが問題起こすといろいろ面倒ですから。
管理不行き届きで出世にも響くかもしれないし。

役員まで巻き込んじゃったんだから。

 

その後はまあチクチク毎日言われましたねえ。
メールでの新規問い合わせを回してくれなくなったり。

 

ちなみにこの店長、以前に僕の祖父が亡くなった日に忌引きの件で連絡したら一言目が「アポどうすんの?」でしたから。
そりゃそうですよね!営業職ですもん!

 

何はともあれ、入社1年経った頃、またハウスメ〇トあたりに雇ってもらえばいっかーと思い立ち、そこで辞めるって言いました。

営業職で1年ってのはペーペー同然ですけど、若気の至りで「俺は仲介マスターだ!」みたいなノリでしたし。

 

ぺーぺーであってもそれなりに売上には貢献してたので、そこで店長が初めてビビります。

 

もうちょっと考えてみれば?

3年はやってみれば?

中学生か!

 

気づけばエリアマネージャーやら部長やらが来てどこかのマクドナルドかサブウェイかで何かよく分からない引き止め文句を聞いてました。

 

それでも店長一派の説得力も何もない言葉をもろともせず、旅立ちの時を夢見て礼金上乗せのマイソク作ってたときですよ、空きだと聞いてたのにいるじゃん事件でもお世話になった本社の役員が、本社に来てみないかと提案してきてくれたんです。この役員の方は、結婚式にも招待しましたし、今はいわゆる専務常務の三役に入っているようです。

 

退職崖っぷちから人生初の栄転へ…

本社というとちょっと違うのですが、とにかく次は本部に行って管理物件の所有者サイドの仕事をしてみないかと提案されたんです。一人本部でも鋼のように意思が固い退職者が出たようで。

聞けばつまりは事務職でしたが、そういえば事務ってのはやったことなくて「あれだろ、現場に這いつくばることもなく電話とコンピュウタアですべてを動かせるあれだろ」という興味もあったので支店営業職を簡単に捨てました。

 

本部では、サブリース物件に関してはその一括借り上げ賃料を、集金代行物件については入居者からの賃料から管理手数料を引いて、毎月物件オーナーに送金するのがその超重要業務でした。

そのためには毎月毎月、物件の修繕費用があればそれを送金分から引いたり、全店から上がってくる成約情報をもとに、礼金や更新料のオーナー取り分をプラスしたり、そりゃあまあ大変なわけです。

その当時で何店舗あったかは正確には忘れましたが、確か35店舗くらい、管理戸数は2万戸か3万か4万だったと思います。(適当)

 

ぺーぺーがいきなりあちこちの店長とああだこうだ話し、オーナーとは送金の額がどうのこうの話し、女性事務員(この時点では何も役職ついてないので同僚)から社内のルールを手とり足とり教えてもらい、それらすべてが月1の送金明細書に反映され、それが自動的に送金システムに乗り億単位の大金が放出されるのです。全管理物件の送金を、僕とさほど勤務歴が変わらないぺーぺーと計二人でやるのです。

 

これ、いいのかぺーぺーが担当して。

 

結果としては営業時代に鍛えられた(店長などからの)対プレッシャー能力で撃沈は免れました。
日々、物件オーナーから「この送金内容はおかしいんじゃねえか」やらメンテ部署の現場からは「ちゃんと説明済ですよ!本社の説明が悪いんじゃないの?」みたいな板挟みに遭い、日々神田の居酒屋でストレスをビールに溶かしながら、生きる道を模索しましたね。

 

あと、現場(店舗)を味方につけるためにたまに各地域の主要店舗の宅建主任者(その会社では暗黙の了解で宅建資格を持つ契約事務が本部との事務連絡、処理などを担当していました)に会いに行っていました。
現場の声を本部に反映させる大きな使命と、サボりたい!その気持ちをもって。

サボるつもりで行った店舗でも一応はそれっぽい意見の吸い上げなどをやっていくと、本社と店舗をつなぐ中での課題がそれなりに出るものです。

そりゃあそうですよね。誰もそういうことやらなかったんだから。

 

そんなこんなで当たり前のことをやっただけなのに簡単に役職がつきました。

やってることは普通でしたが、誰もやっていなかったことをやったということが評価されたのでしょう。

その後も1年ごとに役職が上がっていったので、2年後には給与も爆上げでした。

また、だいたい全店舗からの契約情報と全オーナーへの送金情報を司る部署の課長代理となってからは精神的な面でも余裕があり、「俺はもしかしてサラリーマンマスターなのでは?」と思うほどでした。(井の中の蛙)

 

そんなこんなで終わりは近づきます。

 

辞めて新婚旅行に行きます!

課長代理には入社3年目となる確か28歳の春に昇進したのですが、その夏に僕は結婚するわけですね。
そこでせっかくだから新婚旅行に行こうかなあと思ったんです。

でもたまにあるじゃないですか、「その人がいないと仕事のニュアンスが分からなくなる」ってこと。
みんな本気になってやれば絶対にできることを、なんとなく責任負いたくないから公式にルール化されてないことはやれないふりしてること。

 

事実、まさにマニュアルがないとやろうともしない人たちばかりでした。

 

僕は仕事を感覚的にやっていて綺麗な業務マニュアルを作っていませんでした。

これは完全にミスりました。

 

どんなに馬鹿らしいことでも、責任者が公式に承認するという閣議決定のようなことはとても重要だったと今は思います。

 

本来仕事というものは最低限のフローに原理原則をもって臨めばさほど停滞することはありません

しかし、ほとんどの場合、組織のルールとして成り立っている以上のことをやる勇気がある人もいなかったのです。

会社から離れてどんなに居酒屋で会社の愚痴を言ったところで、実際に実行する勇気を持つ人は多くはありません。

それは、仕方のないことかもしれません。

 

仕方なく新婚旅行は諦めました。

 

その年の新婚旅行は。

 

そこから僕の目標は「仕事のことを考えずに新婚旅行に行く」ということが第一の目標となりました。

 

その手始めに直属の上司に退職予告をしました。
1年後に退職です。

 

そして、退職間際の有給消化中に海外へ飛び立つのです!

 

 

それでも翌年の春に課長に昇進しました。

 

やったー!

 

と言ってる場合じゃなく、この人事は今でも理解できませんが、それでも僕はその9月に退職しました。
正確には9月25日が退職日ですが、その1ヶ月前に業務を終えました。あとは有給休暇です。

1年遅れの新婚旅行も予定通り行きました。

 

しかも、その次の職場は取引先から「うち来ない?」の声をかけていただいていたので帰国して数日ゆっくりしたらそのまま次の会社に行けば良いストレスフリーの新婚旅行でした。

ちなみに、この年の11月の行政書士試験に合格しました。合格欲がなく、ちょっと受けてみるか程度(とは言っても試験勉強はやるときゃやってましたけどね。)だったのでそういう人の方が受かるのかもしれないですね。

 

その時の経験が活きたかどうか

ここからは余談ですが、そんなわけで怒涛のように過ぎた数年でしたが、それは実際今に活きているのでしょうか。

 

その答えは、もちろん活きています!

 

仕事ができない気持ちもできる気持ちもどっちも分かりますし。
どうすれば仕事ができるようになるかも分かります。

 

だから、起業して新しいことをやるときにとても役に立った「どうすればできるようになるか、出世するか」視点を養えたあの時代は今でも貴重です。

 

 

他にも、いろんな生き方があって若くして起業して成功する人もいますが、やはり多少の時間を設けて社会人として、管理職として、過ごした日々はプラスに働きます。

 

僕が初めて起業した行政書士業をはじめ、士業をやる人には学歴や社会人経験なんて要らないという人は多いですし、それは本質的にはその通りです。

 

しかしそれを堂々と言える人には、正直ある程度の無意識の才能は必要になるかと思います。

 

僕にはその才能はなかったので、これまでの経験は絶対に必要でした。

 

今さら、それ以上のことを欲したり認めようとする気もありません。

 

そこから僕は起業するまで2つ程の企業を渡り歩き、その全てで管理職になりました。

 

それには営業力やら交渉力やらは必要ありません。(あるに越したことはありませんが。)

 

その方法は…秘密です。

ヒントは原理原則を頼りに動くことです。

管理職は判断が求められる仕事です。

 

マニュアルがないからできない、では部下は守れませんし、管理もできません。

 

マニュアルがなくとも、1+1が2である原理を知っていれば、数字がどう変わっても答えが分かることと同じです。

 

そのことをどこで知るか、そのきっかけは現状を打破したいと決意し、誰のせいにもできないという環境に置かれた人にしか訪れないでしょう。

 

 

こうして、ダメ営業は社会に(一応正々堂々と)羽ばたきました。

 

今では多少時代遅れの考え方もあるでしょう。

ただ、文句を言うだけで何かが変わるのを待つよりも自分が変わって、何かを創り出す方が早いこともあります。

 

僕は今では行政書士時代を経て、代取&出資者の存在もあり別法人も経営していますが、これまでの経験を活かしていずれはそれなりの人を輩出する事業体になれればなあと思っています。

 

これまでの経験がなければ思えなかったことです。

今、なかなか社会の荒波に揉まれて幻滅しかかっている人も、今の環境をもう一度見直してみれば打破する道は複数ある、それを言いたくてこの記事をしたためた次第です。

 

ま、自分の人生ですからどうこうするにも自分次第ですね。







-日常

Copyright© 林洋平ブログ(こだたま行政書士事務所&株式会社リブリッシュ) , 2019 All Rights Reserved.